とりあえず何か書く事から始めてみようよ
大学を卒業し、そこそこの会社に就職して早数年。
ゆとり世代と馬鹿にされつつ、新人として可愛がられてきたのも束の間、いつに間にやら中堅のレッテルを貼られ、後輩の育成なんてものを頼まれたりし始めるお年頃。
平々凡々なサラリーマンらしく、一丁前に自己啓発本やらブログやらを読み漁って来たのだが、彼らの言葉は本当に僕たちに向けられていたのだろうか?
自己啓発本とは名ばかりで、そこにあるのは努力が出来る人、工夫が出来る人、行動力のある人達の成功体験期ばかり。
こちとらその努力が出来なくて燻っているわけで。一瞬自己啓発ドーピングでやれる気になっても、気付けばダラダラとYouTubeでフリースタイルダンジョンを見漁っている、そういう人間なのだ。
一時期2ちゃんねるで「真面目系クズ」ってワードが流行ってたけど、僕含めダラダラと会社にしがみついてるサラリーマンは、大なり小なり似たようなメンタリティをもっているはずだ。(古くから大企業とされる会社ほど、こういう人が多い気がする、経験的に。)
地頭がよく、要領もいい。地方の進学校からそこそこの大学へ入り、学業はぼちぼちでそれなりに遊び、なんとなーくネームバリューで就職先を選んで。就職後もスキルよりも「立ち回り」で評価される。
地元じゃ神童だったりして、ペーパーテストの類には割と強い。なんだけど血反吐を吐くような努力をした事はなく、人生を賭けて成し遂げたい事も見つからない。そんな感じ。
そこそこ頑張ればそこそこの結果が出るので、必然そこそこの努力しか積み重ねてこず、世間様の敷いたレールに気持ちよく乗って来ただけの人生。
昨今の「個の時代」の波に不安を感じつつも、なんだかんだまだ世間的に見ればいいポジションにつけているのでそこまでの危機感もなく。
そんな「外面だけ優等生」達に自己啓発本は本質的に響かない。
なまじ能力があるせいで、どこか人生を舐めているからだ。
早晩、そんな舐めた態度が通用しない世界がやってくる。それまでに、何らか態度を改めねばならない。
このブログを、その為の一歩としたい。
社会不適合者でも、超人でも、天才でもない。
「そこそこの優等生」という、よほど面白いモノを生み出せない側の人間として、世に何らかの言葉を発信していく。
ハッキリ言って、出来ないやつの気持ちなんてわからないし、めちゃくちゃ出来るやつの気持ちもわからない。
そんなクソ中途半端で、舐め腐ったポジションからこそ見える世界がきっとあるはずだ。
所詮そんなヤツの宣言なのでいつまで続くか分かんないし、誰に響くかも分からない。マーケティングも戦略もクソもない駄文だけど、
とりあえず、何か書く事から始めてみよう。